デッサン日記

           2009年9月14日(月)   継続する行為の軌跡

 
 TVで横尾忠則氏が公開制作でスタスタと絵を描きすすめる姿に感心した。

絵の良し悪しは別にして
彼の制作する姿を見ていると、常日頃の制作態度もこのように休まず描き続けるのだろうと思う。


人にはそれぞれタイプがあると思っていた・・・私などは体調が悪かったり集中できない時、また乗らないときは描かないようにしていた。
私の知る人ではこのタイプが多い。

しかしよく考えると体調が良いときとか集中できるときなどはめったにないのだ。


横尾氏は禅寺での落ち葉掃除から悟りを得たという。
「掃いても掃いても降り積もる落ち葉掃除は無意味なことなのか・・・」
その寺の僧は『掃除する』という行為自体に尊く、意味があると・・・。


絵を描く行為でも淡々と平常心をもって、毎日積み重ねていかなければ完成度の高い作品をコンスタントに生み出すことはできない。


一時の激情や集中力にばかり頼っていると一生に何点も生み出すことはできない。

体調がそう良くないときでも、思ったより高いレベルを維持できているものだ。


毎日コンスタントに平常心を持ち、淡々と描き積み重ねていった軌跡がようやく作品になるのではないかと思いはじめたこのごろです。


            2009年8月16日(日)   正義とは神とは

 毎年のことだが終戦記念日の前後には戦争の記録映像番組が多くなる。

第二次世界大戦の記録映像はことあるごとに録画しているのでそのつど繰り返し見る映像もあるが、今年の白黒映像をカラー化した映像はリアル感がせまり六十数年前の現実が目の前に迫るようで、悲しくも愚かしくつらい映像であった。

『正義は最後には勝つ』、正義のための戦争。正義の戦争を早く終わらせるためには無差別爆撃や非戦闘員を皆殺しにしても良い・・・。

民族の浄化とか、現人神とか、聖戦とか・・・。

神と崇められる対象には基本的には悪いものはいないようです。しかし、それぞれの民族や国により神や正義の解釈は違ってくるのではないでしょうか。

人の命を軽るんずるのは有史以来続いてきたことだ。

勝てば正義になるのか・・・結果としてそうかも知れないし、有史以来から生存競争に勝ち残ってきた種、人間が現在を形成している。

動物のオスたちが殺し合いさながらに争いメスを獲得し子孫を残してきたように・・・。


煮えたぎり沸騰する地球に宇宙からの隕石と共に有機物が地球に降り注ぎ・・・生命体を何十億年かけて育んできた。
巨大な隕石一個で恐竜たちが死滅した過去もあったようです。

そのような時間の概念からすると戦争や私たちが生きた時間などは『ほんの一瞬』かもしれません。
神とはそのような気の遠くなるような時間の経過の中で見ているのではないでしょうか。手を差し伸べたり、民衆を率いたりするのではなく、『ただ見ているだけ・・・』、あるがままの淘汰にまかせる・・・。
というような解釈に落ち着くと『正義はあるのか・・・』とか『神はいるのか・・・』とかいうようなジレンマから少し開放されます。

なにか手塚治の漫画から仕入れた解釈のようになってしまいましたが・・・(私は手塚治より白土三平のほうが好きです)。


           2009年8月1日(土)   アパラチアントレイル



“しんどい番組だ・・・今NHKhiで放映されている。狂人(真人間)が沢山でている。
今私にはやっている暇はない。録画しているので後でゆっくり考えてみよう。
しかしNHKも時に酷な番組をやるものだ・・・。”


三日ほど前に放映されたNHKの番組を見ながら書いたblogの記事です・・・・ウィスキーを飲みながらいささか酔っ払っていたので翌朝削除しました。
こういうものを見ると涙が止まらない・・・心の奥底で一番やりたいことかもしれない。3500kmを歩き通す・・・。


大雪山を何十キロかを縦走したことあはある。学生の頃は一ヶ月山に入っていたこともある。しかしこれほど長くは歩いたことはない・・・。



『人生の目標を見失った時に歩こうと思った・・・』

スルーハイカーのボランティア宿を管理する夫妻の奥さんのほうが・・・・・3500kmを通して歩き終えると『肉体の苦痛を克服できるのばかりではなく・・・精神の苦しみ悩みを超克できる』と語っていたのが印象的でした。



私には今、人生の最終目標は見えている。

私にとっての『アパラチアントレイル』は絵を描き続けることだ。




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