デッサン日記

           
                    2009年5月26日   コティのママ

 
 私が学生だった頃、東京・中野に「tea room Coty」という小さな喫茶店(いやスナックかも)がありました。

私にとっては学校にいた時間よりここにいた時間のほうが長かったという場所でした。

中野にいたときにはずっと私の絵をかけさせていただいていました。
私の青春はここ抜きには語れません。


ママさんは浅草生まれのチャキチャキの江戸っ子、銀座の有名クラブではナンバークラスの売れっ子ホステスでもありました。

年下のマスターは上京したての頃このクラブのママさんのところに通いこみ、(大卒の初任給が5千円ほどのころ)50万円以上をつぎ込んだと聞きました。
それほど魅力があったのでしょう。

借金返済やらいろいろな曲折のあげく二人は一緒になって「Coty」という小さなtea roomを始めました。


私が卒業し、また10年ほどして東京を離れてからもお店は続けられていましたが20年ほど前にすっぱりやめられて、釧路湿原の近くに生活の場を移されました。


先日電話でマスターと話をしたとき、そのママさんが肺ガンから転移して脳腫瘍になり余命いくばくもないと聞かされました。
お見舞いにも何も時すでに遅く行けば迷惑になるようですし、時が経って落ち着いたらまた飲みましょうという話になりました。


時が経つといろいろ見えてくるものもあります、
『世の中そんなに甘くないわよ・・・』『そんなに甘いもんじゃないわよ・・・』といさめられたことがありました。
若かったので何も見えず反発しました。
その言葉の重みが今になって身に軋みます。


           2009年5月14日  コマドリがいた山



3月の末に行った山への鳥撮次期が少し早かったのでリベンジのつもりで出かけたのです。前回は鳥撮する人はほとんどいなくて貸切状態でしたので初心者の私でも自由に楽しめました。
今回は私が早朝に到着してすぐに2人やってきました。釣りではなく鳥撮です。情報を聞きますとコマドリだという話です。
歩いている途中でカメラを出している2人を見かけましたので私も入れてもらいました。その場は鳥が来なかったので、次のポイントへ移りました。
しばらくすると浜松からという3,4人が来られて大砲がずらりと並びました。
私のレンズは小砲(恥ずかし)でした。服装は言うに及ばずレンズまで迷彩仕様、そのまま自衛隊の人達といっても通用します。
屈託のなく大きな声で話し合っていたので緊張感はありませんでしたが、普通のカメラを持った人たちはビビッて入れない雰囲気でした。

そして、やおら携帯用スピーカーを取り出しコマドリやらオオルリやら取り替えて小鳥の声を鳴らします。
そして 「お立ち台」=鳥がやってくるステージ には何やら餌(虫のようです)を置きました。
しばらくするとミソサザイに続いてコマドリがやってきて虫をついばみました。
『一回食べたらしめたもの・・・』でもう警戒せずに何回もお立ち台に来るらしいです(2回はきました)。
オオルリも近くまでやってきたみたいですが、『オオルリはどこでも撮れるから』と外道扱いで無視、
ウーン!!海釣りの撒き餌やフナ釣りのにごり、匂いのような作戦です。

ただ闇雲に歩いて鳥を探すのではなく、ポイントを見極め寄せて撮る・・・。
ギャラリーが何人いようと鳥はお出まします。
私がイメージしていた鳥撮とはだいぶ違っていました、こうまでして撮るのか・・・と。

そういう私もスピーカー内臓のデジタル・オーディオプレイヤー2GB(2,480円)をネットで注文していまいました。


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