デッサン日記

          07.10月21日   ドビュッシー

私が馴染んでいたドビュッシーは富田勲のシンセサイザーのアルバムであった。
「ピアノピア」でミッシェル・ベロフさんのピアノ演奏は素晴らしかった。音楽のことはよくわからないがベロフさんはドビュッシーの新しい和音のことを言っていた。『喜びの島』という曲などは同世代の印象派の絵からではなくワトーの「シテ島への巡礼」(1717年)からきらびやかなインスピレーションを得てしまう逸話には驚いた。

今回のデッサンは油の下絵ではうまくいかなかったのだが、ドビュッシーの和音とやらにヒントを得て新たにやりなおしてみた『息・呼吸・雪山』です。
うまくいきそう。


        07.9月3日   リサ・ランドール著・ワープする宇宙

先日親戚の結婚式のため某ホテルに泊まっているとき、何気なくつけたTVの番組に見入ってしまった。非常に興味を引いたのでアマゾンで著作「ワープする宇宙」を検索してみた。税込み¥3,045。

非常に難解なテーマのようでもあるし最後まで読みきれるか疑問であった。宇宙に関する本や、養老・・・の『バカの・・・』とか、大抵は途中で読むのをやめてしまうことが最近では多い。面白い本は最後まで読みます。
今まで読んだ本の中では指折り面白いし、難解な科学の本にしてはわかりやすい。数式などひとつも無い。鉛筆と紙一枚で計算し構築する世界。私ももう一回人生があったら数学や物理も勉強して入ってみたい世界です。
昨日本が来てもう150ページほど読んだ。この本は最後まで読みます。また何回も読むかもしれません。


          07.8月9日   リストに喝を入れられる

前回の日記でリストのピアノ曲に打ちのめされたことは書いたが、そのリストシリーズの続編を聴いてまたひどく打ちのめされた。

とんでもない才能を持ち、とんでもない天才であったのだが、彼の努力、練習量は想像をぜっするものであった。
ガツンとゲンコツで打ちのめされた思いだ・・・。
超天才であるにもかかわらず、超絶技巧を会得するためにとてつもない努力をしていた。
奢ることなく謙虚に気も狂わんばかりの努力をしていた。

鈍才である私はどれほどの努力をしたと言うのだろう。
鈍才は天才の何倍もの努力をしなければならないというのに・・・。
私はそろそろ晩年を迎えるかもしれないが、『ギブアップはしないぞ・・・』。

『技巧は機械的な練習からではなく精神から生まれる』とリストは言った。

画像は描き始めたエスキース(油)です。


         07.8月3日   ショパンとリスト

 一般に音楽教育を受けたものか、よほどの愛好家でない限りクラシック音楽というものはマスコミやメディアからの一方通行が多く、与えられてきたもの、聞かされてきた曲の範囲が限られている場合が多い。
 
2年ほど前、パソコンのディスプレイ兼用に26インチの小さなハイビジョン対応のTV用にハイビジョン画質で録画できる録画機も買った。
NHKのハイビジョン放送はクラシック音楽も多く、録画機に予約録画しておけば時間があるときにゆっくり聞くこともできる。
オーディオコンポとも接続しておけば高音質の再生で聴くこともできる。

ある日『ピアノぴあ』という10分ほどの番組を録画しておいたらショパンのピアノ曲をやっていた日本の(時には外国の)一流ピアニストの演奏を視聴することができる。おしいことにショパンのシリーズは全部視聴することができなかったかもしれないが10回ほどシリーズを録画して聴いた。ショパンのシリーズは新鮮で衝撃的でした。シリーズはショパンが終わり、シューマンや他の人と移っていったシューマンには申し訳ないが5,6回聴いて録画することをやめてしまった。2,3日前からリストのシリーズが始まったようでリストのシリーズも録画することにした。
みな一度はどこかできいたことがある曲であったが今日聴いた『コンソレーション慰め』と言う曲でガツンと心の奥底まで来てしまった。『この曲だ前にどこかで聴いたがまたどうしても聴いてみたい・・・』。クラシックのCDはめったんことでは買おうという気にはならないが今度ついでがあったらリストのピアノ曲を買ってみよう
ショパンはポーランドからの、リストはハンガリーからの、当時パリに集まる芸術家はみな異邦人であったかもしれないが・・・、故国を離れ遠くを見据えるその芸術家の視線の先には、ある域の空間が拡がる・・・。
この域だ・・・。


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