デッサン日記
07.7月22日 二つのバルール 私が念版による描法を始めたのは、当初は野口三千三さんが考案した野口体操で言う内動からヒントを得たものでした。 現在は内動からだけではなく、画面上には確実に念場(磁場のようなもの)があり、それをもとに結像させることができるとの確信を持つにいたりました。 私の心の奥底やDNAの端に眠る領域からも画像を呼び込みます。 ですからオカルトなどの透視とは違います。 『絵』の世界なら許されるのです。 余談はさておき、どうしても越えることができなかった壁を越えられることができるかもしれない。 以前『全体視』と『部分視』についてデッサン日記に書きましたが、この二つのバルールを別々に内動するのではなく同時に二つの内動をすることにより格段に精度が上がってきた。 とこんなことを書いても何のことを言っているのか判らないでしょう・・・。 私の日記上での記録です。 |
07.7月16日 新しい油彩画を描きだす エスキースを色鉛筆、ボールペンなどで展開しているのだが、細部の描きこみでどうしても表現できないところが出てくる。 やはり油絵で表現してみないと出ない部分もでてくる。 というより急に油絵で描きたいという心の衝動が湧き出た。 まだ作品ではない、エスキース(下絵)です。 久しぶりにキャンバスに絵筆を走らすのだが気持ちがよい。 |
07.6月23日 テーマ以前の問題 NHKの去る番組で白洲正子が十一面観音は日本の『マリア』であると言っていた。 そうかもしれないし悲母観音だってマリアを連想させる。 このデッサンは下の六甲山縦走のデッサンの『このむきさん』を展開したものである。 さらに展開させて『テーマ』はほぼ煮詰まってきた。 ここ2,3日、はたと筆が止まってしまった。 じつは『マリア』の習作を描き出したのだが・・・。 3分の一ほど描きだしたのだが筆が止まってしまった。 3日目くらいでようやくその習作をやる前の準備デッサンをしだしたところ次々とハード的(念描法)欠陥が判明してきた。 テーマの展開(ソフト的展開)以前の欠陥が次々に露呈してきた。行き詰った時は(Miyamaさんの毎日の日記のように)描いて描いて描きまくることが活路を開く・・・。 何もしないで考えることも描くことでもある、しかし絵描きには何も考えないで描くことも時には必要であることがわかった。 |
07.5月17日 黒い眼をした天使? 学生の頃、渋谷にあった「エンパイア」というキャバレーで照明のアルバイトをしていたことがある。 力道山が建てたリキパレスの後に建った巨大キャバレーであった。客席数も多く劇場並みの広さであった。 そこへアルバイトに入った頃は、「生きているのか死んでいるのかわからない・・・」というような気分がどん底の状態の時代であった。 ショータイムの照明の仕事の合間にそんな気分を反映した?「黒い眼をした天使」もどきを描いた・・・しぼりだすように、すがるような思いで描いた・・・。 そんな落書き?を照明室に来た専属歌手の『沢リミ子』が見つけて、『お金を出すので譲って欲しい』と言ってきたので新しく描き直して売った。 あの時描いたイラストは今ではもう描けないであろう。 そんな気持ちを見抜いてくれたのか、彼女自身感じるところがあったのであろうか・・・。 そのときの『天使』を改めて思い出して描きはじめたのだが・・・。 (ネットで『沢リミ子』を検索してみた。後にレコードデビューでもしているかもしれない。ネットに『沢リミ子』はあった。歌手でなく東映のポルノ女優で同名の名があった。主役級でポスターもあったが写真が小さくて彼女かどうか確認できない。ちょうどそのキャバレー時代から2,3年後で彼女である可能性も無くはない。そのときアルバイト仲間は演劇やアングラ芝居の役者などがかなりいたし・・・。) 細身の彼女にどことなく似てきてしまった。 |
07.5月5日 小さいころの思い出 今日はこどもの日だ。 小さいころの思い出といえばたくさんあるが、母と兄弟3人(兄6才くらい、私3才くらい、妹0〜1才)で都心まで歩いた思い出がある。 名古屋市の南部に住んでいたので都心まで片道10kmはあると思う。 バスもあったが、当時は貧乏だったので事情があったのであろう、自転車も何もない、妹を背負って兄弟を両手に歩いた・・・。 私が歩き疲れて『もう歩けない・・・』と言うと母は私を抱いて歩いた。 小さいながらも兄が怒っていたのを覚えてる。 最近お袋と食事をしたりするときそのことを時々話題にする・・・、『そんなこともあったね・・・・あの時は本当にバス代もなかったのよ・・・』と涙ながらに話す。 私が忘れないのは、母も疲れているだろうに『よしよし・・・』と言ってやさしく抱っこして歩いてくれたことだ。 |
07.4月5日 六甲山縦走 ネットで東北のMOGUさんたちが六甲全山縦走をするというので参加させてもらった。 2005年の6月に伊吹山に登って以来の登山で、最近は天体の趣味に移り体を動かすことがなかったので自信はなかった・・・。 6日間ほど歩いたりスポーツセンターへ行ったりしたが付け焼刃でであった。 最高峰は937mであるが距離が長く(56km)、後半(宝塚からの逆走です)は摩耶山を過ぎると小さな山を何度も上り降りするので、市が原であっさりリタイヤしてしまいました。 心臓もさることながら前道程からの疲労もあり筋肉が乳化現象をおこしかけていた。遅い歩みで山なれた同行者2人に迷惑がかかってもいけないし、今の体力的にはちょうど頃合であった。又来られるときがあったら残りを歩きたい。 画像は神戸ゴルフ場から小学校へ抜けるあたりで目にした仏像(?)です。「このむきさん」と言って南南東の方向に立ってこの像を拝むとご利益があると書いてあった。設置されて20年ほど経ているようでちょうどよく苔むしていた。 設置場所はもと防空壕であったという。デジカメ画像を見ながら描いていてわかったのだが、この像は子供を抱いている。悲母観音のつもりであろうか? 戦時中は陸軍の高射砲や軍の施設があったという。設置者と同じ思いでなくとも命の尊さを思い起こさせてくれた。 |