デッサン日記
12月15日(水) 悪魔の日本酒 先日、京都大原の三千院で湯豆腐懐石を食した時飲んだ日本酒がすばらしく美味しくて、日ごろ日本酒は糖分が多いので買うのを控えていたのですが、帰ってから買ってしまいました。 先日「心のダイエット」を説いて、舌の先が乾かぬ先に、寝る前に日本酒を飲んでしまった。 日本酒はほんとうに美味しい。無くなったらやめようと思ったら、女房が北陸の小浜の地酒をお土産に買ってきた。 今夜も一口?飲んでしまった。私のダイエットは嘘と偽りの上に形成されているようです |
12月12日(日) 心の肥満 今夏、穂高に備えて重くなった体重を減らすべく運動をしたりしてダイエットに勤めた。運動で体重を減らすということは大変なことである。2,3kg減らすだけならいざ知らず、10kg、15kgの減量、若い頃の体重に戻そうとなると運動だけではとうてい減量できない。 夏山も一段落しても、ダイエットを持続させたいと思った。身に余分なものが無くなることはとても気持ちがよいものだ。 人間の煩悩の一つである食欲を抑制して、食べる量を減らさないと減量は難しい。 夜寝る前の飲酒とラーメンなどの夜食を止め、一日の食事も病院で経験した一日1700カロリーを目安に食事を減らしてみた。 今のところ順調に、春先より10kg近く減量できている。この先がなかなか大変であるが・・・。 若い頃は、食べたくても腹一杯今のように肉なども食べられなかったという思いがある、その反動で(特に結婚してから)美味しいものでも、肉でも煩悩に任せるままに食べてきたきらいがある・・・。 その結果、肥満し心筋梗塞、狭心症等の成人病を誘発した。 最近食欲だけにとどまらず、自分のなかにあるいろんな欲望も、満たすがままに放置すれば、肉体の肥満と同じく精神や肉体にゆがみをもたらしているのではないだろうかと考えるようになってきた。ふと思いつつあるだけでまだ心のダイエットには程遠い生活である。 釈迦が始めた仏教は人間のいろいろな欲望を抑えることによって人間を悟りに導こうとしたのだが・・・、よく深い?後世の人間にはその後200年しか支持されなかったという。 密教は人間のその欲望もある意味では良しとしてあるがままの自然を受け入れるというのだ・・・。 釈迦の仏教と密教との違い、日本でも空海らによって密教は隅々にまで浸透していった。密教の中心である大日如来。夏の飯豊連邦縦走で目にした大日岳もこの大日如来から来ているのであろう。MOGUさんのリクエストに応じて描き始めた「大日岳」だがどうも漠然としたまま確信がつかめなかったのであるが・・・・。 心のダイエットをふと思うようになって、ようやく密教の「理趣経」にある人間の欲望の部分を整理しようと想いだした。 以前、司馬遼太郎の「空海の風景」を読んだが、どうも難解?でそのときはよく理解できなかったが、先日録画したNHKの「空海の風景」の再放送を繰り返し見ていたら、仏陀の欲望の抑制から、密教の人間の欲望も宇宙の実在を示すものであるという「理趣経」の教えに展開していったことが少し判るような気がしてきました。 不思議なもので、己の内の欲望を少しセーブしようと心のなかで思い始めたら、密教の「理趣経」や「大日如来」の意味が何となく心になじんでくるようになったのです。 ということで飯豊連峰の「大日岳」も筆止めにすることにしまた。 |