デッサン日記


                   7月8日(木)   超えなければならないもの


 先月の常念岳〜蝶ヶ岳の稜線からみた穂高岳は美しいけれども斜度、雪の量とも、私に穂高行きを躊躇させるのに十分な恐ろしさであった。
一ヶ月ほどスポーツセンターで週4日ほどランニングしたり筋力トレーニングをしてもまだ不安であった。
単独で山に入るということは失敗は許されない・・・・・。穂高のような岩場の縦走の失敗とは滑落=死である。
学生のころは、パーティーで登るので、リーダーやサブリーダーでもないかぎり恐怖や責任感もなく、知らぬ間に登ってしまっているものだ。
筋力も体力も衰えてしまった身体での挑戦は無謀だったかもしれない・・・。
まあ涸沢から入ってザイテングラードから登り奥穂高岳くらいなら今の体力でも登れるだろうとはおもっていましたので、とりあえず混雑する7月の半ば前の好天を狙って出発しました。

初日に涸沢ヒュッテで床についても頭から離れないのは、北穂から上って縦走するか、奥穂へ直登するかである。学生時代には岩登りもやったので、行ってしまえば縦走できるであろうとは思っていた。
もし北穂からの縦走をさけ、奥穂へ直登すれば私の人生に悔やみきれない汚点を残すことであろうと夢うつつにも思われた。

二日目朝食を食べ終わって、67歳の写真家が北穂へ登るというので一緒に出発した。いろいろ身体を患っているというのになかなか足腰や心臓はたいしたものである。私のほうが遅れそうである。その写真家は北穂高小屋に泊まり翌日写真を撮ると言う。
北穂山頂についたらもうあとは単独で縦走しかない。ゆっくり縦走して夕方までならいくらなんでも白出のコルの穂高岳山荘に着ける。
調子がよければ奥穂も登って、翌日涸沢に下りればよいと思っていたのですが、涸沢槍あたりからガスで奥穂へは翌日登ることにした。

三日目あいにくガスで視界は悪いが、とにかく奥穂へ出発した。前日の北穂からの縦走により、この奥穂への道がかなり安楽に思えるのは不思議だ、これならと前穂へ、そしてスポーツセンターで山のベテランから「無理無理」とまでいわれた重太郎新道へ降りることにしました。
重太郎新道は確かに涸沢からよりはきついけど『登れない道ではないな・・・』と思いました。
奥穂、前穂と視界が悪く、あまり達成感はありませんでしたが、私の心の中では悔いることのない山登りができたと思っています。


                     6月15日(火)    山は好きだけど



 穂高岳はまだ雪が多く12本アイゼン、ピッケル必携でないと登れないとの情報があり、どんな程度か偵察を兼ねて常念岳(2857m)、蝶ヶ岳(2677m)縦走をしてきました。
思いつき登山で土日はまず外すので、本当に1日か2日前に登山を決めました。
長野自動車道の豊科で降りて西へ烏川林道を終点の三股へ。一般的には一の沢から登るほうが楽であるが、車の関係で三股から前常念岳へ登って、常念乗越の常念小屋に泊まり、翌日また常念岳を通り蝶ヶ岳へ縦走しました。
三股の案内図に三股から前常念岳5時間半とあったので、何かの書き間違いだろう思っていましたが、なんとそれに近い時間が掛かってしまいました。常念小屋への巻き道が崩壊しているとのことで、頂上直下の8合目まで登り400m下の常念小屋まで降りなければなりませんでした。一日目からクタクタ、小屋には私を含めて8名の宿泊者、テントは5張りほど、殆どの人が一の沢から登山者で常念岳には空荷で登ったようです。
しかし一の沢に車を置いてくると常念岳登山は楽ですが縦走ができないので、皆近隣を散歩してまた一の沢まで帰るとのことです。
 翌日はご来光時に小屋を出発、途中2回ほどコンロで湯を沸かし食事をしてゆっくり蝶ヶ岳まで縦走。槍穂高連峰を眺めながら贅沢な縦走でした。昼過ぎに蝶ヶ岳小屋に着き、途中で一緒になった人と話しをしながら缶ビールを飲んでしまった。その人はやはり前常念岳から登ってきた人で前夜車中泊でもったいないので蝶ヶ岳小屋に泊まるそうです。『あとは下りだけ』と舐めたのがいけませんでした。その長いのなんの、ビールの酔いもあって足元はもたもた、途中で『60過ぎたら下りがダメだ〜』と言っていた日帰り健脚おじさんに抜かれました。しまいには疲れて足もタラタラ、『もう山登りはコリゴリ』『私には山登りは向いていない』とさえ思うようになりました。本当に好天に休みを取って登ってくるような登山家たちとは雲泥の差があることが良くわかりました。やはり鍛え方が違う、私など今更鍛えてもとても足元にも及ばない。
でもどんなにきつくても、体力が無いとわかっても『山が好きだ』という気持ちだけは増幅していきます。


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