デッサン日記

   2月23日(日)   念写と自動書記

一昔前に、念写とか自動書記とか、オカルト番組でやっていたことがある。

ご多分にインチキくさいが、私がやっている念描はこの念写と自動書記であることが最近わかってきた。

そもそも念自体エネルギーとして存在するものか、否定する人もいる。
ましてや私のように画面に念場を張り、それを感じながら映すということなど、馬鹿が言うことであり、アホ扱いであった。

アカデミックなデッサン等を学んだことがある私が、その技法をバッサリ捨ててのことである。

昔の人は大なり小なり念写がかったものを使ってはいたのでしょうが、私のように画面全て念描はなかったでしょう。
ただ作品にして発表する段階でレベルの低いものではどうしょうもない。
いっそ念写を止めて、描いてしまおうかと思ったことも何回もありましたが、挫折を繰り返しながらも続けてまいりました。こらからもまだ繰り返すでしょう。


     2月16日(日)  何故だろう

目玉をひんむいて、ぼろをまとい立ち尽くす宮本武蔵を見て(NHKのドラマ)涙するのは何故だろう。

若き日、諸国を放浪した自分の姿と重ねてみているのであろうか?

あの頃の私はどこへ行ったのであろうか・・・・。

また厳冬の穂高を登るニュースの画像に魅入られるのは何故だろう。

今の自分にはできそうにも無いが、それでも魅入られ登ってみたい・・・・。

本能が呼んでいるのであろう。

太古に野山を駆け巡った祖先の血が呼んでいるのであろう。。


デッサンは冬の霊仙山。


    2月11日(火)  能動と受動

 はからずも、今年最初のデッサン日記になった。
 自分の本当の日記のつもりで毎日書けたらと思うのですが、人様にもお見せできるデッサンを添えてとなると、つい怠けてしまいます。

「能動」と「受動」、私の念描の技法の中での問題です。 「演繹」と「帰納」と同じような意味ですが、半分半分、どちらが欠けてもうまくいかないということがわかってきたような・・・・。

この壁一つ越えるのに十年かかったような・・・・。
「少年は歳老いやすく、学なり難し・・・」という言葉を思い出しました。

老いたという思いはまだありませんが、人生はあっという間だということを肝に銘じてこれからも生きていかなければ・・・・。

デッサンは昨日岡山県の山中で見つかった幼い姉妹からインスピレーションを得てデッサンしました。題は「精霊の悲しみ」


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