大雪山(四)


五色岳頂上付近から忠別岳、表大雪を見る

忠別岳頂上付近のお花畑

チシマヒョウタンボク

ゴゼンタチバナ

トカチフウロ

エゾコザクラの群落


忠別岳方面からトムラウシ山、化雲岳、天人峡方面を

7月9日、忠別キャンプ場をあとにして、ハイ松のヤブ漕ぎがつづいて五色岳へ。ハイ松がつづくなだらかな稜線上を化雲岳まで行って、長い雪渓をヒサゴキャンプ場まで降りる。昼前に早々とテントを張り、靴を脱ぎくつろいで横になる。

五色岳から五色沼方面を見る

化雲平からトムラウシ山

化雲平の雪渓にて

化雲岳下の雪渓からヒサゴ沼を見る

ヒサゴ沼畔からキャンプ場、真ん中のテントが私のテント

昼前には到着し昼食を終えくつろぐ
ヒサゴのテント場に昼前に到着して昼食も終え、ごろ寝していて、リュックに入れてきた俳人尾崎放哉の特集記事を思い出し読み始めた。テレビもなければパソコンもない、こんな場所で活字を読むなんて贅沢の極みです。
 
独特の「ひねくれ」と「人を馬鹿にしたような性格」から、周りのことごとくの人を敵にまわし、嫌われ、最後にはすべてを奪われ孤独の身となった放哉。
どこか他人事と思えぬ、まるで鏡を見ているようである。

この方哉も流浪の果てに小豆島にたどり着き、病気でなくなるまで酒を喰らい人に嫌われ最後には目も見えなくなり、酒も戻し、死んでいった。
この方哉は放浪の旅人とはi言えないが、やはり俳人で放浪の果てに死んだ山頭火という俳人がいた。
放哉の場合は、流浪というより逃避行。また山頭火の放浪も逃避行の匂いがする。
放浪とは、ドロップ・アウト、現実から逃げたい、現実の生活を一から出直し何かを見出したい、また自分を見つけるための旅である。
 若いころの棟方志向なども、放浪の旅をしたらしい。その結果?彼は素晴らしい彼の形を手に入れた。彼などは勝ち組である。
 放哉や山頭火などは負け組みであろう。今でこそ彼等の句を評価する人たちもいるけれど、彼等生前は見向きもされなかった、というより人に嫌われさげすまされたかもしれない。ゴッホなどもその口だ。
この嫌われ者で負け組みであった彼等はやけに身近に感じる。というより同類である。
と言って、自分を慰めているのであろうか・・・・・。
 人から嫌われ、妻からも見放され、病身のなか酒と「孤独」に身をさらし、最後には目も見えなくなり、外界からも愛想をつかされた放哉の目は自分の内面へ向かっていく・・・・。
 放哉は書き残している。「自分ノ人格ノ向上ニ連レテ私ノ句ガ進歩スルヨリ外ニ私ニハ途ガナイ・・・・」
実際には人格の向上があったというより、人から嫌われ、人格上の問題で不興を買い、結果「孤独」と向き合わざるを得ないのであるが、彼の句は残った。

   
「咳をしても一人」   「こんなはずはない孤独」

 この大雪への旅で放哉に行き着くとは・・・・・。
大雪縦走もあとトムラウシを残すだけとなった。縦走をしてきて頭をかすめてきたことは、青春の放浪旅はこの大雪にきて完結したという思い。この大雪を最後に山をやめても良い、絵に集中しようという気持ちが強く沸き上がってきた。それほど大雪は素晴らしく、つらく、十分に私の心を満たすものであった。(7月9日ヒサゴテント場で記す)

続く