デッサン日記

            08.4月22日(火)   死に物狂い

 忘れかけていた言葉を眼にした。建築家の安藤忠雄氏が東大の入学式で「死に物狂いで勉強を・・・」と祝辞を述べたと新聞にあった。

今から思い返せば私の人生ではほんの一時期「死に物狂い」の時もあった。
しかしあとの人生にはこの言葉は「死語」になってしまっていて「死にも狂い」で生きた記憶はない。。

のらりくらりと好きなことに時間を費やし・・・本当に闘うことを忘れてしまっている。
この人(安藤忠雄氏)が言うと、なぜかズシンとくる。

余生を「死にもの狂い」で駈ければ少しは何か見えるかもしれない。


       08.3月22日(土)   子の痛みは親の痛み

 娘の高校受験がようやく終わったようだ。
痛みを伴うほどの勉強はしなかったようだが、多少の心労はあったであろう。ストレスは身体にも心にもあったようだ・・・。

 私もその昔に受験戦争を味わった。過ぎてしまえばなつかしい思い出であるが、そのときの親の心情が我が子の受験を経験して初めて判ったような気がする。
昨日は本命の公立高校の発表であった。発表の時間帯には電話がかかってくるまでは絵を描く筆を置かねばならなかった。電話が少し遅れたのでてっきり『落ちた』と思い5,6分うなだれてしまった。

一つ一つ山を越えていかねばならない・・・そしてまた私も同じ痛み味わいながら山を越えよう。
デッサンは『化身-闘神の目覚め』


      08.2月21日(木)   描エネルギーを発電する。

 描エネルギーとは『念版による描画』では念場を張り内動で描けるエネルギー・・・・自動描画に近い。

電磁誘導の法則に従ってコイルに永久磁石を出し入れすると電気が発生しますが、画面の念場に内動力の磁力線をぶつけることによって描画エネルギー(電気)を発生させることができるのではないかとまた朝の寝床で思いついた。

タッチ割り・・・視覚から脳を通して対象物を写生する場合は対象物をどのように描き進めるか・・・描く瞬間瞬間、脳で判断し描き進める。
『念版による描画』ではこのタッチ割りをどう処理するかは難問であった。
単に念場を掘り下げてもよいのだが・・・ノルディックスキーのパスカニングのように平地や登りで反動(けり)をうまく使いこなせればよいのだが・・・・・。

念場と内動力(磁力線)をぶつけ合うことでこのタッチ割りエネルギーを発生させることを思いついた。以前からもやっていたことだが、それが発電によるエネルギー発生ということがわからなかった。
念場=磁場の溝を掘り下げるばかりではなく、念場に内動力(磁力線)をぶつけることによってタッチ割りのエネルギーを発生させ、タッチ割りした分の念場を自動的に描ききることができることを発見した。
念場の溝を神経を消費しきって描き降りるのが今までのやりかたであった。
発電によって自動描画を生むという大変楽な描き方をようやく見つけつつある。

デッサンはまだ顔は見たことがない○さんを描いてみた。


       08.1月14日(月)  画面内の永遠エネルギー?

 画面内の統一諧調のことを『バルール』という。私もまたこのバルールというものは画面内において絶対的なものであると信じてきた。
この大きな諧調から外れて部分が突出すればその絵は壊れる・・・一つのバルールは絶対であり部分はその中の一部でしかない。
私の場合『念版による』描画を続けるうちに長い間、部分の描き込みと全体の統一という問題に直面していた。

昨年打ちあがった『かぐや』の撮像を見ているうちに、月を周る『かぐや』の周回軌道を眼にして月にも周回軌道(まご衛星軌道)があることを知った(常識であったかもしれないが)。
太陽の周回軌道は惑星がまた惑星の周回軌道は衛星が・・・というように太陽の周回軌道と惑星の周回軌道、衛星の周回軌道・・・は共存するのである。

画面のなかの統一バルールを太陽を中心とする周回運動にたとえるなら、部分バルール(描きこみ)は惑星を回る周回運動、衛星を回る周回運動にたとえることができる。今朝寝床でふとこのことを思いついた。
部分バルールと全体バルールは共存している。あたかも太陽の周りを惑星が回り、惑星の周りを衛星が回るように。
画面上にもに永遠エネルギーに近い万有エネルギーが存在していることに気がついた。
上限、下限はあるが1バルール(写真では1焦点)にも細部を描きこむエネルギーは画面上確実にあることに気がついた。
今までは細部(部分)を描きこむことは一バルールを掘って広げることだと思っていたのだ・・・。

諧調を落とさなくても(掘って広げなくても)ここまで描ける(カメラで言う一ショット)ということをやってみた。(実際には途中で手を抜いた行程があるのでもう少し描ける)
油絵の場合はもう少し掘り下げておいての仕事になる。

デッサンはあのイスラム教の宗祖である。キリスト教の宗祖や仏教の宗祖は前に描いたこともあるし描いたことに意味はない。あまり真面目ではないかもしれないが。


今までのデッサン日記へ           目次へ戻る