デッサン日記
  10月31日(木)   サウンドカード

今日はハロウィンですが、日本のニュースなどではあまり話題にでませんでしたね。
今日はデッサンは使いませんがとてもうれしかったことがあったので、写真を添えての日記です。

昨日、月一回の病院の帰りに、大須のPCパーツショップでハードディスク
DiamondMax Plus 8の80GBと
ONKYOのUSB外付けサウンドカード
SE-U55Xを買って来た。
今までのハードディスクは一年前のものでしたが、起動用ハードディスクだけでも最新のものに変えたほうが、スピードがあがるようです。
ハードディスクの引越しを二つやりました。OS,アプリケーションなど丸ごと引越しソフトをダウンロード(3400¥)してやったら、あっという間にできました。
いままでOS等再インストールの手間に泣きましたがこれなら有料ソフトを使っても高くないです。
特にXPやWIN2000は古いアプリケーションはそのままでは使えず、ドライバー等をダウンロードしたりとても手間がかかりました。
ただ、少し古いマザーボード(1年前に購入)ではBIOSがブートせず、新しいマザーボード(8月購入)に繋いで2台目のHDDも引越しをしました。
引越しをして繋ぎ直せば即使えます。もちろん起動もできます。

サウンドカードは、CreativeのかなりいいのをWIN98SECまで使っていたのですが、
2000になってからドライバーのサポートがなくなり、3年ほど前にレコードのPC録音用に買ってあったもの(SE-U77左写真)をドライバーをダウンロードして使っていました。これはなかなか音が良くて、
CreativeのSound Blaster・・・より音が良かったのでXPでも使っていました。
雑誌の記事で新しいSE-U55X(写真右)がとても音質が良いと書いてあったので、一つ買ってみようと思っていたのです。
USBの外付けなのでPCのノイズを拾わないし音響メーカーだけあって、驚くばかりの音質であった。
3年の進歩というのはPCにおいては恐るべきものですね。
値段も高級コンポとは大違いで15,000¥ほどでした。
デジタルハイビジョンチューナーから録画した音楽番組をかなりの量DVDにして保存してあるので
さっそく聴きましたが、あたかも高級コンポからの音のように聴こえます。

宣伝の記事のようになりましたが、日本製負けていないですね。



  10月28日(月)   海と山の違いだけ

鈴鹿の御池岳にスポーツセンターで知り合った独身女性と登ってきた。
女房には二人でなく、三人くらいで行くといってある。
 と言ってもやましいところはありません。私と同じくらいの年齢の人で、山はあまり登ったことがないらしく、靴も普通のズック靴でした。

頂上付近で天候がくずれかけ、みぞれが降ってきてとても寒かった。それでも日本庭園、鈴北岳と足を伸ばし、なかなかの紅葉を味わってきた。私ののんびりペースにはちょうど良いパートナーであった。
帰り道の渋滞の国道23号線で長良川を通過中、河口堰の手前でキラキラと光るものを発見した。
よく見るとウィンドサーフィンをやっているらしい。
渋滞するトラックや仕事中の車を尻目に、ウィンドサーフィンをやっている、皆さんが働いているのに
奇異というか、不謹慎にさえ映る。木枯らしが吹き出した寒空の下であるだけによけいそうみえる。
私が思わずそのことを口に出すと、となりの同乗者がのたまわった。
「海と山の違いだけで、私たちだって同じよ・・・。」
そりゃあそうだ、ごもっとも、自分だってかなり不謹慎なことをしているんでした。
ちらっと、負い目を感じた山歩きでした。




           10月18日(金)   天まで届いた

翌朝もう一人の宿泊者は大汝峰から釈迦新道、白山釈迦岳を通り市の瀬へ出るということで、
四時半起きで早立ちした。
 私はとてもそんな元気はないので、頂上での御来光に間に合うように、ゆっくり飯を作って食べた。五目御飯に焼き豚厚切り3枚入りのポタージュスープを朝から食した。
昨夜はわかめご飯にとんこつラーメン、しめじ、焼き豚厚切り入りでした。
おかげで山から下りても体重は増えていました。しかし驚いたことに体脂肪が5〜6減っていました。
○6くらいから○1に減っていました。はじめは計器が狂っているのかと思いましたが、2度3度また翌朝計っても○1と確かに体脂肪が5くらい減っています。これはうれしい。
女房の弟は白山に登って6kg痩せたと聞いていたので期待していたのですが、体重ではなく体脂肪がこんなに燃えてくれたとはうれしいことです。
話がそれましたが、帰り(下り)は観光新道で紅葉を堪能しながら、帰りました。
しかし下りの半ばで出会った髭の男(40くらい)は短パンと軽ザックで走って登っています。
驚いたことに、やはりフラフラで車までもどりラーメンを作って食べていたら、その髭男が戻ってきて水を飲んでいます。まさかと思って「頂上まで行ったのか?」と聞くと黙ってうなずく・・・・。
時計を見たらPM1:30ころでした。殿が池小屋より少し下った戸渡り尾根のへんで確か10時頃でした。
私が2日かけて登ったのは何だったのよ〜。。。私はもしそんな体力があったとしても、もっとゆっくり
山を堪能しながら登りたいですね。

デッサンは御来光の反対方向、日本海までのびる白山の影、頂上で手を振る私の影も見えたような気がする。Yamadaさん期待に反してあっさりしたデッサンで申し訳ありません。また時間をかけて白山の絵を描きますので・・・・・。

また写真等整理がついたら「白山」アップしますので。



     10月17日(木)   満天の星-白山にて

体調が悪かった女房が小康状態になり寝床から起きれるようになった。
 
10月の前半密かに計画していた白山登山を断念しかかっていたのだが、よっしさんのネット仲間のYamadaさんの投稿画像から俄かにまた登山意欲にかられ、好天の17日とうとう白山に向けて出発をした。

こんなに長い登りは何年(何十年?)ぶりだろうか、出発のパックに時間がかかり、2時間ほどしか寝ていない、うれしさのあまりウイスキーを飲みすぎ酔いがまだ残っていた(言い訳見苦しい)。
いつもより自炊道具と寝袋等若干重かったこともあり、フラフラでよたよた、別当出合から5時間かかってようやく室堂に着いた。
宿泊所の冬期避難小屋に荷物を置きもう皆が降りてしまった頂上(御前峰2702m)に夕方まで心行くまで堪能できました。
 小屋にはもう一人宿泊者がいましたが、20代の若い人でしたが、お互い山に登る者どうし、
酒を酌み交わし、肴を分け合い、楽しくすごせました。
 私のシュラフは−35℃まで使用できる代物で、寝かかったが暑すぎて9時頃目が覚めてしまった。
小用も兼ねて外へ出てみると、南には月が輝いていても満天の星、天の川も確認できる。
昔北アルプスでも見えたのだが、私は近視で長い縦走でコンタクトを片目落としたり、夜はコンタクトをはずすのでまともな星の空は見たことがなかったのです。
今回は、眼鏡も持ってきていたので、とうとうプラネタリウムよりもっともっと多い素晴らしい星星を見ることができました。当然写真(デジカメ)は撮れず、ビデオカメラでも月は何とか写りましたが、星は撮ることができませんでした。
このデッサンは記憶だけを元に描きましたが、とうてい実際の感じを表現できません。
また実際の星の位置などは無視して描きました。目を閉じると光景がよみがえってくるはのですが、
実際の星はもっと輝いていたように思います。




10月11日(金)   釈迦ガ岳(鈴鹿)


あまりの天気の良さ、と言うより前日の山影、天気図等から確実に日本晴れを予測して、よっしさんには「当分山へは行かない」と約束したけれど、日帰りだからカンベンしてちょ〜。。。。

 予想は当たって快晴頂上付近からは御岳山、恵那山も見えました。
釈迦ガ岳(鈴鹿・1092m)は登ったことなかったので、一度登ろうと思っていました。
鳩鳥峰峠へ出て頂上、松尾尾根で帰りました。  見晴らし今一・・・・・。
家に帰ってみると、女房はオカズも作れず、フトンのなかでうなっていました。
粗食で子供には悪かったですが、晩ごはんは湯豆腐。



  10月7日(月)    舞踏の女

東京上野桜木(谷中)での友人の作品展の飾りつけを手伝ってきました。
本当は明日(8日)のオープンまでいるつもりでしたが、妻が2,3日まえから体調が良くなく(腎臓からの欠陥による)切り上げて今日帰っていきました。

知人の息子は舞踏の大野一雄舞踏研究所の門下生である。飾りつけに行くと、その息子から一人の細身の女性を紹介された。その息子とともに飾りつけを手伝いにきていたのです。
てっきりその息子と同じくらいの年齢と思っていたのですが・・・・。
絵にも興味があるらしくなかなか造詣が深い。
手伝いながら、舞踏の話、大野一雄や土方巽、また暗黒舞踏のことなど興味深い話を聞くことができた。
今から思えば息子と同じ年頃ではしっかりしすぎの感じである。
先の発表会ではソロで踊ったという。

彼女はガールフレンドぐらいであろうとおもっていたのですが・・・・。
夜宿泊先の友人の家で息子のお母さんが、彼女のことや二人のことをふと漏らすのを聞いてしまった。
どうやら恋愛関係にあるらしい。
どうやら息子より一回りくらい年上らしい。そして既婚者であること。

一般的に舞踊家や役者さんの年齢ほどわからないものはありませんが、私なら年を訊いたら逃げてしまったかも知れない。
しかしそれほど彼女は魅力的であった。

年上の人妻との恋、過去にあったほろ苦い青春の思い出。。。。
人は恋をしてまた一つ成長していく・・・・・しかし危険な香りもしますね、この恋は・・・・




  10月4日(金)    新しい家族

娘と女房がホームセンターでハムスターを買ってきた。
名前はチビと決めたらしい。
ロボロフスキーとかいう種類で以前いたハムスター(チョロ子)の半分ほどの大きさである。生まれて2ヶ月ほど経っているらしく、もう大人で、我が家に慣れていないせいかとても神経質です。

以前飼っていたチョロ子は1ヶ月ほど前に死にました。
死因は餓死らしい。ほぼ2年生きていました。ハムスターの平均寿命らしい。
なぜ餓死かというと、自分で餌を、餌の殻を割って食べることができなくなっていたのです。
死ぬ前の3ヶ月くらいは私が皮をむいてやったピーナッツか、やはり殻を割って実だけ取り出してやったヒマワリの種しか食べられなかったのかもしれません。
私は、あまり甘えさせては自分で餌を食べられなくなると思い、3,4日ほったらかしていたら、気がつい時には死んでいました。老齢のため歯が役に立たなくなっていたのかもしれません。またはなんらかの理由で弱っていたのかもしれません。
そんな訳で少し悲しかった(世話をしていたのは結局私でしたので)もう新しく飼うきはなかったのですが、娘と女房は1ヶ月も経つと新しいハムスターを飼ってきたのです。
長生きしてくれよ・・・・・。チビくん。



  10月3日(木)   走れるようになった。
8月のはじめに狭心症の検査入院を
終え、お盆過ぎから近くにある、
緑スポーツセンターのトレーニング室に通うようになった。

狭心症の悪化はなかったものの、3月から家に閉じこもり、運動もせずにいたことが、コレステロール値や血糖値を大幅に増やしていたのです。
食事もほぼ満腹になるまで食べていたので体重も増えるばかりでした。
糖尿病寸前の値であると、医師から警告を受けていたこともあり、
重い腰を上げてトレーニング室へ行くようになりました。

3月に10日ほど行っていたのですが、途中中断していました。

さすがに平日の日中は年配の方が多いのですが、女性の方はまだ若い人妻もいて、結構な雰囲気(^−^ です。
週4日は通い、ストレッチやクライム、クロカンそして最後に1時間ほど歩いたりしていました。1ヶ月半ほど続けたら、7kgほど体重も落ちて、だいぶ身体も締まってきました。
それでもまだ筋肉隆々というわけでもなく、まだ少し?余分な肉もあります。

中学生のころは駅伝の選手で区大会に出たりしてたこともあるのですが、
狭心症になってからは走ったこともなく、またしんどくて走りつづけられませんでした。
周りで走っている人を見ていて、はがゆく思っていましたが、思い切って昨日から走ってみました。
歩くより少し速い程度でいいとゆっくりでしたが走り出してみると体重も少し軽くなっているし、足腰も
クライム等で鍛えているので、何とか走れそうです。
問題は心臓ですが、はじめは苦しかったですが、慣れてくるとドクッドクッと音お立てて、逆に気持ちよく血液が回りだすのがわかります。
「もう走れない」と思っていただけに1周210mのトラックを周を重ねるごとに喜びも増してきました。
連続で10周も走ってしまいました。ストレッチをはさんで前後で計20周走りました。
そして今日も。
走ることがこんなにうれしく思えたことはありませんでした。